私と旅とのかかわりは社会人になった直後。
観光地に集中する現像所巡り から始まった。
その後、何度か海外へ行く機会に恵まれ、
1990年台北で 運命的な出会いがあった。
侯孝賢監督の映画と
シンガーソングライター 張雨生という人。
その後は言うまでもない…


つぶやき:政治とは国益を第一に考え、国民が望む富の分配を行うことである。しかし、日本の政治家のほとんどは政治をしたい人ではなく、個人的動機で 政治家でいたい人ばかりである。中でも極めて政治モラルと道徳性に欠けた政治家が安倍晋三という人だったように思える。幸か不幸か、彼は岸信介の孫 として生まれたため、幼少期から帝王学を学び、祖父が残した仕事を成し遂げる使命を受けたのではないか?祖父は敗戦後にA級戦犯として収監されながら 復権し総理になった人物であり、そのため嘘でも、隠蔽でも、カルトでも利用できるものは何でも利用せざる負えなかったであろう。そんな環境下で育てられた彼は 子供社会でのルールや反抗期での学びもなく、全て忖度棒の一振りで済ませてきたかのように、何の迷いも感じず、戦後の混乱期と同じ手法で国民をごまかし続けた。 今後、祖父の受け売りで彼の行ったことの全てを検証し直す必要があるのではないか?
島へ向かう観光客(モンサンミッシェル)

モンサンミッシェル観光は地平線上に現れる「点」に始まり、 「橋上」からの 刻々と変化する幻想的な風景で終わるといっても過言ではない。 この前奏曲こそが「西洋の驚異」といわれる由縁と感じる。
2013年10月
聖ミカエルの小像(モンサンミッシェル)

この像は、片手に心臓の重さを量るための天秤を提げている。 最後の審判のときに死者の心臓をはかり、天国に送るか地獄に送るかを選別する、 仏教の閻魔に当たる存在でもあるらしい。   
2013年10月
列柱廊(モンサンミッシェル)

「ラ・メルヴェイユ」棟最上階にあり、その中庭は息をのむほど美しい。 回廊は円柱をわずかずつずらすことによる視覚効果で、 周りを歩く時、不思議な感覚を得る。
2013年10月
大通り門(モンサンミッシェル)

要塞らしく門が幾重にも連なる。門の上の建物は「メール・プラール」 ホテルで門からのぞく赤いテントの店がオムレツ発祥店として知られる 「ラ・メール・プラール」。
2013年10月
西のテラスから(モンサンミッシェル)

テラスから北方面を見ると、フランス語で「驚異」を意味する 「ラ・メルヴェイユ」と呼ばれるゴシック様式の修道僧の居住棟と 小島が見えた。
2013年10月
ワイキキ・ビーチ(ハワイ・オアフ島)

「ワイキキ」はハワイ語で「水が涌くところ」の 意味。今は連日人が湧く。白い砂浜、紺碧に 輝く海……。ハイアット・リージェンシーホテル バルコニーからのスケッチ。
1989年3月
ノースショアのサンセットビーチ(ハワイ・オアフ島)

冬はビッグウエイブが押し寄せ、サーフポイ ントとして有名なこのビーチも夏は穏やかそ のもの。一人の男性がひたすら波を撮り続け ていた。
1989年3月
アラモアナ・ビーチ(ハワイ・オアフ島)

アラモアナパーク前の東西約1キロのビーチ 当時は観光客はほとんどいなくてガラガラ。 ワイキキの混雑がうそのようだ。
1989年3月
ハナウマ・ベイ(ハワイ・オアフ島)

ここはきれいな珊瑚礁の入り江がある 環境保護区で、シュノーケルスポット として人気が高い。カラフルな熱帯魚が 警戒心もなく近寄ってきます。
1989年3月
カモンイス広場前を走る市電28番線(リスボン)

若者文化の発信地「バイロ・アルト」と観光の中心「バイシャ」 下町情緒の「アルファマ」を結ぶ路線。リスボンのさまざまな顔を網羅できる、 観光客にありがたい路線だ。でも、掏摸多発線でもあるらしい。
2018年3月
宝町付近を走る路面電車(長崎市)

大正3年の創立当初から変わらず「長崎電気軌道」 という堅苦しいままの名称である。日本一低料金でも有名。 どこまで乗っても大人120円、子供60円で、しかも乗換駅「築町」 では請求すればその先無料になる乗換券までくれるから驚き。
2016年8月
ジェロニモス修道院と市電15番線(ベレン)

この修道院はエンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業をたたえ、 海外からもたらされた富により、1502年着工、約1世紀をかけて完成したそうだ。 市中心からベレンへ向かう「市電15番線」車両は近代的過ぎて、私好みではない!
2018年3月

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