社会人になって、
大阪の研修を経てたどり着いた憧れの湘南。
大船の 寮生活から逃げ二宮へ、
吾妻山の西「山西」での友達との共同生活、
そして小田原へ…と。
喜びと狂気に満ちた青春の時をただ走り続け、
さまざまな可能性が消え去ってしまった。
数々の出会いと別れ、
残ったものは額の皺とほろ苦い思い出。


つぶやき:運転免許の更新手続きをやめた私は、健康のためできるだけ歩くようにしている。市内であればバスを使わずどこまでも歩く。最近、横断歩道の信号がやけに短く感じて来ている。 以前なら、点滅が始まっても楽に渡れたのに途中で赤信号になることも頻繁である。おそらく、自分では走っているつもりでも、よろよろ、つんのめりそうに足をはこんでいるのだろう。危険だから やめようと思うのだが、なかなかやめられない。ことわざにも「汝自身を知れ」「己を知りうる者は賢者なり」「己を知り敵を知れば百戦危うからず」等いろいろある様に、常に自分を俯瞰できる様でいたい。 正直、体力年齢と共に、人は頼られたり、相談事を持ちかけられたりする存在ではいられないし、行政は頼っても人には頼らない生き方をしたい。しかし、 世界には明らかに立ってスピーチするのがやっとの高齢の指導者がいる。メディアも気を遣って報道するし、周囲の取り巻きも忖度して持ち上げているのだろうか?本人は俯瞰できているのだろうか? 投票者も自分の行動を俯瞰できているのだろうか?……
JR鎌倉駅東口駅舎(鎌倉市)

駅前広場のすぐ北側から鶴岡八幡宮の裏参道(小町通り)が始まる。 この日も、小町通は正月のお参りで人があふれていた。
2013年1月
鎌倉高校前を走る502号(鎌倉市)

1956年にデビューしたこの車両は丸っこいヨーロピアンスタイルで、 約半世紀の間、江ノ電を代表する名車としての座を不動のものにしていたが 構造上の問題で冷房装置搭載が困難であったため2003年1月引退した。
1998年8月
七夕まつり中の平塚駅北口(平塚市)

ショッピングセンター「ラスカ平塚」を有する駅舎と 地下通路でつながるロータリーのバス乗り場は人であふれていた。 国道一号に通じる駅前通りは交通規制のため森閑としていた。
2016年7月
梅沢海岸(二宮町)

昔は、小高い丘の上は国立小児病院や別荘 が点在する閑静なところで、浜には漁船が 停泊していた。まさしく、緑豊かな長寿の里の イメージだった。今は明るくモダンな住宅が ひしめき合う。
2009年8月
なりわい交流館(小田原市)

国道1号線が折れる本町の角にある、昭和初期に建てられた 旧網問屋をリニューアルした施設で、 観光案内やまち歩きのお休み処として利用されている。 この一本裏の通りがかまぼこ通り。
2021年8月
ミナカ小田原(小田原市)

31店舗が出店のタワー棟(後の高層)と、 26店舗の小田原新城下町(地上4階)からなる、複合商業施設。 タワー棟の最上階には、無料の展望足湯、 小田原新城下町の4階部分は宿泊施設「旅籠」。
2021年8月

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